

私は仕事柄、よく長崎を訪れる。
先日、友人に誘われ、長崎市の平和公園での「
「9の日の座り込み」とは、原爆が投下された9日にちなんで、毎月平和祈念像の前で行われる平和活動である。被爆者や市民、高校生平和大使などが「核なき世界」を訴え、1979年3月に始まって以来ずっと続いている。
私が参加した第519回目の座り込みには100人以上の人が集まった。関係者の講演と証言を聞きながら、無意識のうちに、最前列に座っている被爆者の方々に視線が引き寄せられた。ゼッケンを着けた彼らの背中は丸く、銀髪は真昼の太陽を浴びて輝いて見えた。その無言の後ろ姿を見つめ、私はふと自分との接点を思い出して心が震え、時間が止まったように感じた。
十数年前、私は「
長崎の
それまでの私にとって、長崎は教科書にある遠い異国の地名に過ぎなかった。ところが、見ず知らずの子供たちの赤裸々な手記に、私はすべての
あの子供たちも、きっと「9の日の座り込み」の最前列にいた方々のように、静かな強さを持っているのだろう。子供たちの手記を通して、すべての生命に共通する根っこが、しっかりと存在していることを実感したからだ。
生命の根っこに出会わせてくれた、この本と長崎での貴重な体験に、感謝が尽きない。