

「道」――この言葉を聞いて思い浮かぶことの一つに、「旅」があります。「旅」という言葉を聞くと、松尾芭蕉が思い起こされます。芭蕉の句に、次のものがあります。
「此道や
角川ソフィア文庫『芭蕉全句集』の訳註には「秋も末の夕暮れ、行く人のいないこの道に独りたたずんでいる」とあります。
「此道」は、芭蕉の人生をかけた俳諧の道とも理解できるでしょうか。
一つのことに惜しみなく自らを注いだ人には、その人ならではの深みと輝きがあります。その道は、決して平坦ではないでしょうが、それだからこその味わいがあります。
イエスはかつて自らを「道である」と語りました。この道を通らなければ、誰も父のもとには行かれない。(参ヨハネ14・6)
イエスが、その全生涯をかけて果たそうとしたことは何でしょうか。彼はかつて、こう語りました。
「わたしが天から
その父の御心とは、彼を見て信じる者がみな、永遠のいのちに与ることにほかなりません。
イエスの公生活――それは、いわゆる放浪生活と言ってもいいかもしれません。それゆえ彼は、「人の子には枕する所もない」(マタイ8・20)と語ります。その原体験は、幼い頃、仕事に出かける養父ヨゼフに付いて方々を歩き回ったことにあるのかもしれません。
キリスト教と呼ばれる前、キリスト教は、「この道」と呼ばれていました。キリスト者とは、「この道」に従う人々です。
「旅に
先の本によると「旅の途中で病身となり、見る夢はといえば、自分が枯野を駆け巡るばかりだ」とあります。
――この句は、芭蕉の生涯最後のものと言われています。