

「道」という漢字は、進む・行くことを表す「⻌(辶)」(しんにょう)と、頭や顔を表す「首」から成ると、漢字についてのサイト「jigen.net.」で説明されています。
つまり「人が進むべき
日本文化には「茶道」「柔道」のように「〇〇道」と呼ぶものが多数あります。これらは単に知識や技術を習得する場ではなく人としての生き方や心構えを学ぶ道と考えられています。
人はそれぞれの人生で指針を探します。興味や関心から始めたことがいつしか人生の支えになり、その人の生涯を象徴するものになることがあります。
以前、あるプロ野球選手が引退会見で「好きで始めた野球が自分の人生になりました。野球の神様に感謝します」と語っていたのを思い出します。「野球道」という言葉は一般的ではないかもしれませんが、その選手にとって野球こそが半生を支え、人格を磨く道であったのでしょう。
では、キリスト者にとっての「道」とは何でしょうか。
イエスは言われます。「わたしは道であり、真理であり、いのちである。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない。」(ヨハネ 14・6)
キリストを信じる者は、キリストという「道」に従って生きることが求められます。すなわち、キリストから生き方を学び、キリストを人生の中心として生きるということです。キリスト者は言わば「キリストの道」を歩んでいるのです。
新年度を迎えるにあたり、改めて自分の歩みを振り返りたいものです。私たちの人生はどこへ向かっているのか、何によって生かされているのかを深く考えてみてください。
道であるキリストが、あなたの歩みを導いてくださいますように。