

冷たい冬の時期、天に向かって枝を広げる冬の樹は花も葉も実もつけていないので、見ようによっては「枯れている」「弱り切っている」ととられるかもしれません。
わたしも以前、何もできずに放心状態で冬の樹のように立ち尽くしていたことがありました。
そんなわたしの心のベクトルが上向きになっていったのは複数の〝隣人〟から〝愛〟を受けたことがきっかけでした。思い返すと感謝の念でいっぱいになります。
聖書で「隣人」と訳されている言葉はギリシャ語で「近くにいる人」という意味だそうです。
ルカ福音書にある有名な「善きサマリア人」の話では、旅人が瀕死の状態で倒れているところに三人の人が登場します。その三人は瀕死の旅人と知り合いではなく、たまたま通りかかった人たちです。イエスさまはその三人の中で、その旅人の〝隣人になった人〟とは「見て」「憐れに思って」「近寄って介抱した人」であると示されました。
振り返ってみると、わたしを大いに助けてくださった人たちも距離的に近かったわけではなく、血縁や物理的距離や立場を超えて、寄り添ってくれました。しかも、多忙な中、仕事や家族を後回しにして駆けつけてくれたり、遠慮のない言葉やお諭しによって活を入れてくれたり、仕事を休んで遊びに連れ出してくれたり、つまり、社会的に優先すべきことや常識を超えるような形で助けてくれたのです。
そのような〝隣人愛〟を受け、助けていただいたおかげで、弱っていたわたしは健やかに変化していきました。
「見て」「憐れに思って」「近寄って介抱する人」
わたしも助けを必要としている人を見かけたら、常識や距離をひょいっと飛び越えて駆け寄り、愛を注ぐ隣人になれますように。