

まだ神父になる前、神学生として勉強していた頃、わたしは毎週、日比谷公園あたりで野宿している人たちに、おむすびと味噌汁を配るボランティア活動に参加していた。握ったばかりのまだ温かいおむすびと、ポットで保温した熱いくらいの味噌汁は、特に冬の季節、野宿者の皆さんにとても喜ばれた。
おむすびと味噌汁を渡しながら、「今日も寒いですね。お体は大丈夫ですか」と声をかけると、中には、にっこりほほ笑んで、「お兄さんたちこそ、寒いのに大変だね。気をつけてな」などと声をかけてくださる方もいた。
実際、とても寒かったし、昼間の仕事で疲れていることも多かったので、そんな言葉をかけてもらうと本当にうれしかった。心にあたたかい火が灯ったような、そんな気がしたものだ。
インドで貧しい人々に奉仕したマザー・テレサは、「貧しい人の中にイエスを見なさい」とよく言っていた。まずは相手をよく見て、相手の命のかけがえのない尊さに気づきなさい。それから奉仕しなさいということだ。
「わたしたちの目が貧しい人の中にイエスを見ているとき、貧しい人たちはわたしたちの目の中にイエスを見ています」とも言っていた。それはつまり、わたしたちが互いに見つめ合い、相手の命の尊さを感じているとき、わたしたちのあいだにイエスがいるということだろう。
見つめ合うわたしたちのあいだにイエスがおり、そのイエスが双方の目に映っているのだ。
そのイエスを、愛と呼んでもいいだろう。見つめ合うわたしたちのあいだに確かな愛があり、その愛がイエスという姿をとって目に映るのだ。
奉仕することで、お互いがあたためられ、お互いが救われる。そこにわたしたちの幸せがあるような気がする。