

特別支援学校で教員として働いていた時、子どもたちとの関わりからたくさんの気づきをもらいました。
子どもたちは、愛されることに対してとても敏感です。しかし、いつも自分から手を伸ばして私を受け入れようとしてくれました。そこに、私は、傷つく可能性をこえる愛の勇気を教えられました。
同時に、「僕を、私を見て」という心の叫びを感じたのです。それは「愛されたい」という人間誰しもが持つ、根源的な欲求だと気づきました。
たとえ何度叱られても、何度すれ違っても、それでもまた近づいてきてくれる子どもたちから、「それでもあなたを信じている」という姿勢を学びました。私にとって、それは「愛は傷をこえる」という証(あかし)でした。
親元を離れて施設で過ごす子どもたちは、言葉にできない不安やさみしさ、怒りを抱えています。なんらかのきっかけで、それが爆発してしまう時もありましたが、それでも、いつか迎えに来てくれる親を信じて待ち、愛し続けていました。
彼らは、私が「今ここにいること」を見つめてくれました。ただ隣に座って声をかけるだけで、はじけるばかりの笑顔を見せてくれました。言葉が通じなくても、表情や気配を感じ取って、心でつながろうとする彼らは、「隣人愛」の師と呼べる存在でした。
隣人愛は、行為の大小ではなく、心のあり方に宿る者で、存在を受け入れ、共にあることを選ぶことだと思います。
私が彼らに対して「何もできない」と感じた瞬間、その中で受け取った笑顔や反応は、人と人との関係が、行為ではなく、心で結ばれることだと感じました。
たとえお互いに相手のために何もできなくても、笑顔は届く、愛は行いよりも先にまなざしの中に宿るものなのだと教えられたのです。