

先日、友人の詩人の文学賞授賞式があり、お祝いに駆けつけた私にとっても、嬉しい一日になりました。自分のことのように歓ばしく、感慨深い出来事に思えたのには理由があります。
彼女が受賞したその詩集は、十数年ぶりに出版されたものでした。
その間、高齢のお母さまを看取り、ご自身も大病に見舞われ、生命の危機を乗り越えた体験がありました。参加している同人誌に「命を賭けてこの本を作りました」と書いているように、長年の想いが込められた1冊だったのです。
それだけに半年前、この詩集で別の大きな賞にノミネートされながらも最終選考で選ばれなかった時には、ひどく落胆した様子がありました。
当時、心配になった私は連絡を入れて会う時間を取り、食事を共にしながら彼女の気持ちに耳を傾けるひと時を持ったのでした。
小さな声で、「私の作品に何が足りなかったのだろう......」と呟いたので、「足りなくなんかない。あなたの詩集は人の心に残る、素晴らしいものだよ」と、本心を伝え、約2時間、ゆっくり話す時間を持ちました。その日、帰る前にわざと力強く、「賞が何だというんだ。私たち詩人は作品を通して、よりよい仕事をしていけばいい」と言うとようやく笑顔を取り戻し、「そうですよね」と返してくれました。
そのようなプロセスがあったことから、今回の受賞はとりわけ嬉しかったのです。
授賞式の日、私は壇上で花束を贈呈しました。互いに向き合った時、私は思わず涙ぐんでしまいました。花束を差し出すと彼女は満面の笑みで受け取り、「友の歓びは、私の歓びである」と知った一日になったのでした。