

隣人愛と聞けば、学生時代の友人の話を思い出します。幼児洗礼の彼は子どもの頃、福音書にある善きサマリア人のたとえ話を不思議に感じていたと言います。
困っている人がいれば、声をかけるのは当たり前だと思っていたので、なぜ、道の反対側を通り過ぎて行く大人がいるのだろう...。彼の言葉を聞きながら、そんな彼を偉いな~と、感心していました。
田舎育ちの彼は、行き交う人に挨拶をするのは自然なことであり、困っていそうな人には、声をかけるのは当たり前だと思っていました。
しかし、大学生になり、都会で生活を始めたとき、その考え方が変わったと言います。バイト先に向かって自転車をこいでいたとき、歩道に倒れている男性を目にしました。
いく人かの大人たちが男性の横を通っていたのに、誰一人として立ち止まる人がいません。
友人は自転車を止め、倒れている男性に声をかけましたが、反応がありません。バイトの時間も迫っていた彼は、近くの店に駆け込み、店のおばさんに事情を話し、救急車を呼んでもらったそうです。
友人は、この出来事で善きサマリア人のたとえ話を違う角度から考えるようになったと言います。イエス様がこの世界に暮らしていた2000年前も、困っている人がいても素通りする人がいたのです。困っている人がいたら進んで声をかけることの方が、むしろ珍しいのかもしれない、と話してくれました。以上が友人の話です。
彼の話は今も私に、いろいろなことを考えさせます。イエス様は、「あなたも、善きサマリア人のようにしなさい」とおっしゃいましたが、果たして、今の私は、友人のように行動できるだろうか。
それが当たり前と思えるようになりたいと願っています。