

子どものころ、一番好きだった冬の遊びの一つが、おしくら饅頭でした。「おしくら饅頭押されて泣くな」という囃子言葉に「意地悪で押すんじゃないから泣かないで楽しむんだよ」というメッセージを感じ、その響きが何とも温かく思えたのです。
体が小さく力の弱い私のためにあつらえたような言葉でしたが、この言葉は同時に私からも、さらに小さい子たちに向けたメッセージとして、次々と伝わっていったのです。
ネットで調べると、手をつないだ輪の中から押し出された子が「負け」として外にとどまるというルールもあるようですが、私たちのルールは「体が温まったら終わる」でした。力のある子は、押し出される子が出ないようにそっと押していました。だから、私も含め、この遊びで泣く子はいませんでした。むしろ、お互いを思いやりながら、ちょっとだけ押し合って温もりを分かち合い、「寒くても一緒だよね」という暗黙のシグナルを交換していたのでした。
こうして私たちは、自分より弱い人を労わることや、「泣かないで遊ぶ」という隣人との優しい関係を学んだのだと思います。ちょっと窮屈だからこそ安心できる不思議な混雑感は、懐かしいのです。
一方、おしくら饅頭で「負ける」子が出るルールで遊んでしまったら、それは力の競い合いになり、通勤ラッシュの壮絶な生存競争と変わらないのではないでしょうか。あえて「負ける」子を出さないルールだったからこそ、あの押し合いは楽しかったのだと私は思うのです。
イエスが説かれた隣人愛も、これに通じるような気がします。負ける人を出さず、排除せず、小さいころ自分がしてもらったように手を取ること。それが隣人愛の始まりかもしれません。