

先日家族連れでスペイン旅行に出かけた。マドリードに始まり、セビリアやグラナダ等のスペイン南部・アンダルシア地方を周遊する旅である。
アンダルシアはフラメンコや闘牛の本場であるとともに、何と言っても建築が美しい。若かりし日に妻と訪れたアルハンブラ宮殿の壮麗なる美しさが忘れられず、いつか息子を連れて行きたかったのである。
アルハンブラはもちろん不変の輝きを放っていたが、新たに印象に残ったのはコルドバで訪れたメスキータである。赤と白の二重構造のアーチが森のように林立する圧巻の姿。ここはかつてモスクだった。
そこにキリスト教の大聖堂が接合する。アンダルシアの建築物が美しいのは、ほかならぬキリスト教とイスラム教の融合の所以だ。そして当然ながらその融合の背景には、残酷な争いの歴史がある。
メスキータを見上げる息子に、その解説を加えながら、僕は言い訳のように付け加えた。
「イエス様は決してこんなことをするように命じたのではないよ。イエス様は『隣人とは誰か』と聞かれた時、苦しむ人を助けたサマリア人こそ、その人の隣人だ、と答えたんだよ」。
どうしてこうなのだ、と脳裏を過(よぎ)る。この残酷な歴史は今も続いているではないか。
ウクライナで、ガザで、世界中のあらゆる場所で、イエスの教えは破られ続けている。それは単純な教えだ。しかし、僕たちにはそれが極めて難しいのだ。
旅の終わり、マドリードのソフィア王妃芸術センターに収蔵されている絵画を見た。スペイン内戦を描いたピカソ・ゲルニカ。
イエスの教えが、今度は自分の内側で木霊(こだま)した。