

当時、私は30歳になったばかりでした。年末に帝国劇場で
千秋楽から二日後の夜10時過ぎ、電話が鳴りました。
「あなたのことが気になって」とシスター・テレジア。修道院はもう消灯時間なのに・・。まさにその時、私は息が苦しくなり、救急車を呼ぼうとしていました。それを話すと「すぐにタクシーでこちらへいらっしゃい」と言われました。修道院に着くと部屋に案内され、あたたかいカモミールのお茶を飲ませてくださいました。そのまま一晩過ごして、朝、米沢の実家に電話をし、母に迎えに来てもらいました。
シスター・テレジアとは、所属していたカトリック教会で二、三度、話をしたことがあるだけの私、なぜ、あのタイミングでシスターが思い出してくださったのか、今でも不思議です。次の日、病院で治療を受け、すぐにアパートを引き払い、実家に帰ることになりました。
米沢の実家に戻って7年間過ごした間に「米沢の殉教劇」を書き、演出したことがきっかけで上京し、カトリックの出版社に勤めました。
突然、母の病気をきっかけに退社。その後、神学部への入学・・・と、さまざまなことがありました。そして、東京から浜松へ来て7年、急にシスター・テレジアのことを思い出しました。
浜松でも長い闇を過ごしましたが、ふいに光が射すようなみ旨が待っていました。神様が送ってくださるのは約束の地なのです!
シスター・テレジアからの電話より約40年の月日が流れ、近々会いに行くことになりました。