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待ち望む

シスター 萩原 久美子

今日の心の糧イメージ

 私が所属していた小さな教会では、クリスマスの馬小屋作りは中・高生の役割でした。小さい頃、兄や姉たちが楽しそうに準備をしているのを見ながら、いつか自分も・・・と楽しみにその時を待ち望んでいました。そして、中・高生になって仲間たちと馬小屋の準備をするようになり、楽しさだけでなく大変さも味わいながら準備したことを懐かしく思い出します。そうして準備した馬小屋は、街のショーウィンドーに飾られているような煌びやかさはなくても、クリスマスの夜、飼い葉桶に眠る小さな幼子イエス様を礼拝する信者さんたちが、その出来具合を褒めてくれることが何よりうれしかったことを覚えています。

 ある年のクリスマス、色々な教会を巡り歩いている時、ふと入った教会には十字架の下に幼子イエス様が小さなかごに入れられ、そっと置かれているだけでした。

 これまでに見たこともないとてもシンプルなクリスマスの飾りに驚いたのと同時に、イエス・キリストの誕生と十字架上での死が一瞬でつながったような気がしました。

 待ち望むことができるのは、そこに確かな約束があることを希望してのことでしょう。幼かった頃、待ち望むのは幼子イエス様の誕生だけであったのだろうと思います。しかし、大きくなって、イエス・キリストの誕生が十字架の死と復活に結びついた時、待ち望むべきものは、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちなのだと。そこに確かな約束と希望があることを信じて待ち望むこと。

 この信仰が、街のざわめきにはない教会のクリスマスの静かな雰囲気を醸し出しているのかもしれません。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブライ11・1)。