

アウグスティヌスは、たいへん魅力的な人物です。彼は、ローマ帝国時代のカトリック教会の司教でした。同時にまた、彼はキリスト教の歴史において、最も優れた哲学者・神学者の一人でもあります。若い頃、彼の精神は真理を求めて哲学に邁進し、彼の心は救いを求めてマニ教の虜となりました。母モニカは、涙と祈りを通して彼の回心を願い求めた、と言われます。実にそれは、15年以上にも及びました。しかし、時は来ました。387年、アウグスティヌスは、アンブロジオから洗礼を受け、キリスト者となりました。
私たちは、確かに、神に愛されています。しかし同時にまた、弱さや欠点をもった不完全な存在でもあります。
最晩年のパウロは、心の中をこう吐露します――「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」(ローマ7・19)。これが、人間の現実です。
そのような私たちは、いったいどのように真の平和を築くことができるのでしょうか。
すべての人は、かけがえのない存在です。ですから、もし誰かが道を誤った場合、決してその人を排除するのではなく、むしろ、その人の再生を願い求めたい、とそう思います。その時に求められること――それは、互いに対する忍耐と寛容な心。なぜなら、神は、忍耐そのものであり、憐れみ深く恵みに富み、慈しみとまことに満ちた方だからです(参 出エジプト記34・6)。
愛――それは、神のはたらき。「愛は忍耐強い」と語るパウロは、私たちにこう勧めます。「兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい」(1テサロニケ5・14)。