

私たちは、一人ぽっちで生きることはできません。さまざまな人に支えられて、生きています。支えは、目に見える形の経済的、物質的なものであったり、目には見えない精神的なものであったりします。
その中でも、祈り、特に誰かのために心を込めて祈るという行為は、目に見えませんが、確かな力がある支えだと思われます。祈りとは、神に向かって感謝や願いを伝える行為ですが、誰かのために祈ること、そして、自分のために祈ってもらうことは、人との関係に深い絆を育み、心の安らぎをもたらすものでもあります。
身近な人が苦難に直面したり、病気になった時、私たちは心を込めてその人が少しでも楽になるよう祈ります。また、世界のどこかで戦争に巻き込まれて苦しんでいる人がいる時、見知らぬ人であっても、私たちは心を込めてその人たちが守られ、少しでも平和な生活を送れるように祈りを通して願います。
聖書には「互いのために祈りなさい。そうすれば、いやされる」(ヤコブの手紙5・16)と書かれています。これは、その通りであり、他者のために祈ることで、自分自身もいやされ、心が整えられるように思います。祈りには不思議な力があります。祈りを通して他者のために尽くすことができるならば、こんな有り難く幸せなことはありません。
また、自分のためにも祈ってくれる人がいるとするならば、誠に有り難く、感謝に絶えません。互いに祈りあうことの大切さを悟り、是非これからも、人のため、平和な社会と世界のために祈り続けたいものであります。
いかなるときにも信仰をもち、祈り合うことを忘れずに生きることができれば、意味深い繋がりと支えと平和を築くことができると確信し、疑いません