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ローマの図書館で

古橋 昌尚

今日の心の糧イメージ

 米国でミサにあずかったときのこと、神父さんがイタリアで体験したことを話してくれました。

 あるとき、神父さんは研究休暇でローマに滞在する機会があり、本を探しに市内の図書館に行きました。当時は閉架式で、自分で書庫に入って自由に読みたい本を探すことはできません。コンピュータで書籍を検索するなどとは考えられない時代でした。

 神父さんは貸出カウンターで閲覧したい本を紙切れに書きつけて、担当者に渡しました。その人はその紙片を手に、書庫に入っていきました。

 30分ほどして手ぶらで戻ると、紙片を突き返し、顔色一つ変えず言いました。
 「17世紀以来、貸し出し中!」
 会衆からはどっと笑いがおきました。

 さすがローマだ。流れる時間がたおやかだ。何百年の単位で生活が動いているようじゃないか。
 「本は見つかりません。」とか、「申しわけありませんが、本は紛失しました。」 そんな回答ではありません。
 貸し出しの記録はしっかりと残っている。でも返却の形跡がない。そこで図書館貸し出しの仕事を果たすがごとく機械的に、「貸し出し中」と答えたようです。借りた人が存命であるか否かは問いません。

 400年前に誰がいつ借りたか、その記録が残り、図書を保管管理するシステムがある。その本がいまだに返ってきていないこともわかる。このようにして信仰の遺産も受け継がれてきたのでしょう。

 日本にも、もっと古い記録があることはある。でも書籍の貸出、記録や保管のシステムまで成立していたわけではないでしょう。

 (くだん)のミサでは、自分たちとは異なる、たゆたう時間の流れを共に体験するひと時をもち、現代の時間に追われるせわしない生活を、改めてふりかえる機会となりました。