

「おまえが産まれたとき、父さん母さんはどんなに喜びでいっぱいだったことだろう。」
このアナク(我が子)という1977年のフィリピンの歌は大ヒットし、日本をふくめ海外の言葉でも謳われました。
作者のフレディ・アギラーは、あるとき自らの体験を瞬時に言葉にして、涙のうちに曲をつくりあげたと言います。
我が子は成長して道をそれ、どんなに私たちを悲しませたことだろう。この寡黙な息子の苦しみを想って、愛する子のためなら自分の命さえも惜しまないと、父は切々と訴えます。言葉が分からなくても、心に迫るものがあります。
さて、この歌を通して神の心にふれた神学者ホセ・デ・メサがいます。
新スコラ神学を学んだ神学者でしたが、神学が人々の生活や世界と関わりのないままでは、その意味を損ねていくと感じました。
そこで神学から排除されてきた文化の要素を積極的にとり入れることで、聖書の物語や教えも人々の生活により意味をもつものとなると考えました。
例えば、フィリピン語の心という言葉「loob(ロオッブ)」をとりあげて、じかに神の心を自らのものとするよう示唆しました。フィリピンの伝統的な文化を排除するのではなくて、むしろ積極的に用いてイエスの物語、その福音を伝える道を探ったのです。
彼は「アナク」という歌を聞いて、はじめて放蕩息子の物語を理解できたと告白します。神学者としての解釈は知り尽くしていたのに。
この歌には宗教的メッセージは含まれていませんが、彼はここで描かれる父が息子を想って切々と訴える言葉を聴いて、その大きな深い心にふれました。譬え話で描かれる神の心に出会ったのです。
神はあらゆる出来事をとおしてメッセージを伝え、そこに自らを顕わにして下さいます。