

私たちが幸せに生きていくためには、心安らげる居場所が必要でしょう。
疲れても傷ついても、安心して帰っていける、自分を受け入れてくれる場所、一般的には、それは家庭ではないでしょうか。
私はごく普通の家庭で育ちました。両親は共働きで、裕福ではありませんでしたが、毎日ご飯を食べ、風呂に入れて、寝ることができる安心な場所でした。幸い両親がケンカするところをまず見たことがありません。
教師になって、様々な難しい家庭環境の子どもたちと接して、親の心理状態が子どもに与える影響の大きさに気づかされました。親の心理状態が穏やかであれば、子どもも安心でき、生活が荒れることはまずありません。
私もそうでしたが、子どもはいつもいつも、いい子であるはずはなく、親の期待通りにはいかないものです。それでも、親はその子の過ちを叱りながらも、愛情をもってその子を受け入れ、ゆるすものです。親から愛されていると感じるなら、子どもは自分の非を改めようという気持ちをもてます。思い出すに、私が子どもの頃、平穏に過ごせたのは、ひとえに両親のおかげだったと今更ながらに感謝しています。
ところで、父である神様にとって、私たちはみな可愛い子どもです。
神様は私たちの良いところも悪いところもすべてご存じで、理解し、受け入れてくださっています。
イエス・キリストは、放蕩息子のたとえ話をもとに教えられました。神様は、子どもが自分の過ちを素直に認め、改めようとするなら、寛大にゆるしてくださる慈悲深く、愛情深い父親なのです。
そんな神様の現存を感じながら心静かに祈れる所は、私たちの心安らげる居場所となりえるでしょう。