▲をクリックすると音声で聞こえます。

居場所

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 同じ教会で一緒に働いている92歳のスペイン人の神父さんが、数年前から、平日の午前中に聖書の講座を始めている。

 高齢でもあり、あまり長く話すことはできないのだが、意外なことにそれが講座の大きな魅力となってたくさんの人が集まるようになった。

 神父さんの話が10時から始まり、質問の時間も含めて11時までには話が終わる。そのあと、集まった人たちはお茶を飲みながら自由におしゃべりを始める。神父さんの話もいいが、その後のおしゃべりの時間が、この講座の大きな魅力なのだという。中にはお弁当を持ってきて、昼過ぎまで話していく人もいる。同年輩の仲間たちとのおしゃべりが、楽しくて仕方がないようだ。

 これにはすっかり驚いた。わたしも聖書講座を担当しているが、どうしても、話の内容を充実させ、たくさん話すことでみなさんに喜んでもらおうと考える。1時間半なら1時間半、しゃべり通してしまうのだ。わたしの話と質問の時間が終わるころには、もうお昼になってしまうので参加者たちは、おしゃべりもせず急いで帰っていく。つまり、わたしの講座には、参加者たちがしゃべる時間、おしゃべりをして交流するための時間がないのだ。ゆとりがないと言ってもいいかもしれない。

 聖書について学ぶのも大切なことだが、集まってくる仲間たちと交流するのもとても大切なことだ。特に、高齢になって家にいる時間が長い人たちにとっては、そのような時間こそが日々の生活の大きな楽しみになるようだ。自分が話し過ぎず、時間にゆとりを作ることによって、参加者たちの楽しみの場を作ることができる。

 わたしも、これからはそのような場を作ることを心掛けたい。