

かつて戦国時代にキリスト教が日本に伝わった時、キリスト教の根幹である「愛」を「ご大切」と訳したと、高校生の頃に教わった。
「人は皆、デウス(神さま)のご大切である」、そう当時の人々に説いたそうだ。
まだ恋愛経験もなく、恋愛に恋い焦がれていた男子校の学生にとって、「愛」は恋愛であり、異性への想いの象徴であった。もちろん、頭では西欧的な言い方をすれば、「家族愛」「隣人愛」「アガペー(神の愛)」の存在は知ってはいたが、やはり「エロス(性愛)」が圧倒的に頭の中を占めていた。
そんな時に「ご大切」という訳語を教わった。誰が訳したのかは知らないが、なんとも絶妙な意訳ではないかと感動したのを覚えている。家名や
「どんな人も神様の大切な存在である」、その時点でみんな生まれてきた価値のある存在である。今以上にこの価値観は当時の人々に衝撃的であったと思う。
今、親になって自分の子供達を見ていると、心から自然とこの「ご大切」という言葉が頭に浮かぶ。子供達には、これからの成長の中で、自分が私達夫婦のご大切であり、また神様のご大切であることを忘れないで欲しい。そして、これから多くの友人やパートナーという自分のご大切に出会い、また自分がその人達のご大切になれることを切に願う。また、これから出会うどんな人も、誰かのご大切である(少なくとも神さまのご大切である)ことを心にとめて、他人に接して欲しい。