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ほほえみ

竹内 修一 神父

今日の心の糧イメージ

 「(かすみ)立つ ながき春日(はるひ)を子供らと 手まりつきつつ今日もくらしつ」――良寛(りょうかん) さんの歌です。良寛さんは、日が暮れるのも忘れて、子供たちと毬つきに興じていた、と言われます。おそらく、彼の顔には、穏やかなほほえみが浮かんでいたことでしょう。子供たちの心には、何の恐れも邪念もなかったかもしれません。それは同時にまた、良寛さんの生き方にも重なってきます。素朴で単純な生き方です。ほほえみは、そこから生まれてきます。毬は、仏教における「法」の象徴でもあるようですそのことを考えると、また新しい世界が広がってくるようです。

 「鉄鉢(てっぱつ)に明日の米あり夕涼」――これは、良寛さんの俳句です。鉄鉢は、托鉢(たくはつ) の際に施しをいただくお椀。良寛さんは、木製の鉄鉢を愛用していたようです。時には、何の施しも与えられない日もあったかもしれません。しかし今日は、とりあえず明日のための米はある。一日を生きることができる。その喜びと充足感を味わいながらの、爽やかな夕涼みです。静かなほほえみが、浮かんできます。

 「ぬす人に取り残されし窓の月」――ある日、住まいの 五合庵(ごごうあん)に賊が入りました。しかし何の目ぼしいものもない。そこで賊は、良寛さんの布団を持って行ってしまいました。しかしそれとは関係なく、何もなかったかのように、月の光が差し込んでいます。賊はさすがに、月まで持って行くことはできなかった。もし窓の月が悟りの世界を表しているのなら、そこにもまた、良寛さんのほほえみが浮かんでいるようです。

 単純で素朴な生き方――そこには、穏やかな明るさがあります。それによって、私たちは、真に平和な生き方ができるのではないか、とそう思います。