

「医療とは、病を患う人のいのちの声を聴くことである」――と、長年地域医療に携わってきた方波見康雄さんは、語ります。
方波見さんは、さらにこう続けます。「心音はただの音ではなく、心臓の弁膜や血液の流れ、血管の弾力など全身との関係性の中で発せられる。医療とはそんないのちの声、いのちの音に耳を傾けることなのかもしれない。」このような医療の起源を、方波見さんは、人間の共感に見ます。
人間は、単なる部品の寄せ集めではありません。人間の身体は、生物学的には、約60兆もの細胞からなっていると言われます。一つの細胞でも失われたら、全体にはなりません。細胞は生きています。ですから常に新しい細胞へと変わって行きます。早いものなら2~3日で、長いものでも約六年もすれば、新しい細胞に変わるそうです。
10年前、自分の身体を構成していた細胞は、今はどこにもありません。ではあの時の自分は自分ではないのか、と言えば、そうではないでしょう。たとえ細胞が変わっても、やはり、あの時の自分も今の自分も自分です。それでは、自分が自分であることの根拠、それはいったいどこにあるのでしょうか。少なくとも、細胞ではありません。
それはきっと、〝いのち〟そのものなのではないか、と思います。お互いのいのちの声を聴くことによって、私たちは、互いに共感し共鳴し合います。
「聴く」という言葉のつくりは、「真っ直ぐな心」という意味のようです。ある人のいのちの声を聴くためには、まず、自分の中に真っ直ぐな心が整えられていなければならないのでしょう。それによって、私たちは、相手を丸ごと受け止めることができるでしょう。