「弱気になるとき」、これはよく用いられる表現で、実際に人生でもよく起きることです。自己中心性、疲労や怠慢のために、私たちはみなあやまった判断をするものです。それも人間であることの証明です。よい面は、それをふりかえることで弱気になってしまう瞬間も、しまいには人としての強みに変えることができることです。
他方で、「強くなるとき」という言い方は、言葉でも行いにおいてもあまり耳にしない表現です。もちろん緊急事態において人が並外れた力を発揮することはあるかもしれませんが、真の強さとは一瞬のうちに表れるものではありません。生涯にわたって判断を下すたびに、人が深くまた強くなっていくのは、自分を越えたなにものかに根づいた勇気なのです。
幸い私は日々勇敢に生きている人々を知っています。
最近、特に公人の例でありがたく感じるのは、米国大統領であったジミー・カーターです。政治家としての経歴は56歳にしてにわかに終わることになりますが、カーター・センターを創設することで、人権と人間開発の促進に寄与してきました。また彼は、長年にわたって、安価な家の建設を手助けするボランティア活動を定期的に行ったり、故郷ジョージア州の日曜学校で教えたりしてきました。2002年にノーベル平和賞を受けたのちも、世界をより良い場所にしようと奮闘しつづけます。
彼によると、彼の信仰が「世界に違いをもたらすべく駆り立てる」のだとのことです。それは一瞬のことではなく、「私がどこにいても、出来るときはいつでも、あるもので出来るかぎりを」努めるのだと。
100歳で帰天されましたが、カーターは真の強さをもった人であることに変わりはありません。