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真の強さ

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 紀元1世紀の地中海世界で、困難な旅を続け、キリスト教を広めたパウロという人物が、「わたしは弱いときにこそ強い」(Ⅱコリント12・10)という言葉を残している。矛盾した言葉のようにも思えるが、「自分の弱さを認められたときにこそ、自分の強さを十分に発揮できる」という意味にとると、確かにその通りかもしれない。

 たとえば、人前で話をしなければならないとき、わたしはとても緊張する。「失敗したらどうしよう」という思いが強まって、心が縮み上がり、体もカチコチになってしまうのだ。お腹が痛くなり、トイレに行きたくなることもある。

 このような緊張の正体は、弱い自分を人前で見せたくないという気持ち、ある種の見栄だと言っていいだろう。「立派に話して、みんなから高く評価されたい。弱い自分を見せたくない」という気持ちの裏返しが「失敗したらどうしよう」という思いなのだ。だからわたしは、緊張してどうしようもなくなったとき、心を落ち着けて、「そんなに見栄をはる必要はない。たとえ失敗しても、自分なりに精いっぱいに話せばいいんだ」と自分に言い聞かせるようにしている。そして最後に、「神さま、この弱いわたしを、どうぞお使いください」と心の中で祈り、自分を神さまの手に委ねてしまう。そうすると、緊張感がすっと消えて、たくさんの人の前でも自然体の自分で話せるようになるのだ。

 緊張したまま話せば、ろくな結果にはならない。自分の弱さを認め、弱いなりに精いっぱいやったときにこそ、そのときの自分として、一番よい結果を出すことができるのだ。人間は、強い自分であろうとするときに弱く、自分の弱さを認めたときにこそ強い。それは、人生の一つの真理といっていいだろう。