真の強さとは何か――この問い掛けは、真の力あるいは本当の力とは何か、といった問い掛けとして理解することもできますが、真が本来持っている力とは、そもそもどういったものなのか、と解釈することもできます。
ここでは、後者の意味で考えてみたいと思います。そのために、「まこと」を表わす一つの表記として、誠実の「誠」を取り上げたいと思います。この字は、「ごんべん」と「成」というつくりから成っています。その意味は、「言葉が現実となる」ということでしょうか。それは、言い換えれば、言行一致といってもいいかもしれません。そのような人はまさに誠実な人であり、信頼に足る人です。
「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」――ヨハネによる福音書は、この言葉によって始まります。
その言葉のうちには命があり、それは人間を照らす光であった、と語られます。そして、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。・・・・それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(1・14)と続きます。感覚的な目では見ることのできない神のみ言葉。それが、一人の人間として、私たちに与えられました。
ある聖書では、「真理」の代わりに誠実の「誠」があてられていました。また、かつての文語訳の聖書では、この「真理」に「まこと」とルビが振ってありました。
真の力とは、決して何かを破壊するような暴力的な力ではありません。むしろそれは、誠実で謙虚で凛とした佇まいをしたものではないか、とそう思います。
イエス・キリスト――それは、神の真心が見える形を取って現れたものにほかなりません。