この世界で最も強い人はだれでしょう。大きな権力や富をもった王様か、はたまた武器や腕力を多く持つ人でしょうか。
旧約聖書のヨブ記にこのような一節があります。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこへ帰ろう。
主は与え、主は奪う。主のみ名はほめたたえられよ。」(1・21)
このみ言葉を味わっていると、確かに誰にとっても、地上の人生のスタートとラストは空(から)の手であることがわかります。
あらゆる力の源である神さまは最も強い方と言えるでしょう。しかしながらその方はクリスマスに人となられてこの世界で貧しく生活され、その果てに最も屈辱的な十字架刑を受けられました。その時、衣服までも奪われたその姿でイエスさまは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と天の御父に向かって叫ばれました。
わたしはこの叫びに神への信頼を感じます。
神の独り子でありながら、空の手で生まれ、空の手で命を捧げたイエスさま。
このイエスさまのお姿から、真に強い方は小さく貧しくなり、すべてをお渡しすることができる人ではないかと教えられました。
わたしはこれまでたびたび挫折や失敗を体験してきました。そのたびにわたしは喪失感を味わっていました。ところがイエスさまが受難と死を通って復活された恵みに深く参与していくうちに、自身が失うことによってできた空白に、神さまの豊かな恵みが滲み出てくることに気づいてきました。
この世にある間、衣食住や友情、健康など様々な恵みを一時的にお借りして過ごしますが、それらを「自分のものである」と錯覚をすることなく使わせていただき、時が来れば、天の神さまへの信頼の叫びだけを心に抱いて、空の手で旅立ちたいと願っています。