去年9月、私の教会で80歳以上を対象に「敬老会」が開かれた。
コロナ禍で4年ぶりの事。歩行が不自由な方は若者が車で迎えに行き、40人が家族と明るい笑顔で集まった。イエス・キリストによって救われた体験を、仕事や子育ての問題解決の土台にして、助け合い、励まし合った仲間である。
神父様の優しい招待状に感謝して私も参加した。
祝賀ミサの説教で、神父様は「誰がいちばん偉いか」と議論する弟子たちに「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と言われたイエスさまの愛の精神を説かれた 。(参 マルコ9・34~35)
イエス様自身、神の御子の身分を捨て、神の愛の壮大なご計画に身を捧げ、人類の罪を十字架の死で贖い、復活して、神のいのちと共に永遠に生きる天国の幸せへの通過点とされた。
イエスさまは今も生きて新しい命の光で世界を照らし、特に社会的に弱い立場の人たちの悩みや苦しみに寄り添い、生きる力と希望を与えて救って下さっている。何と二千年以上も!!
私たちは不完全で弱い存在だが「私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」と約束されたイエスさまを信じて委ねる私たちは、いのちの光に照らされて死も恐れず、安心して喜びと平和の祈りのうちに生きてゆける...。これは「真の強さ」の実感ではないかと想われてならない。
ミサの後、祝福の塗油を受け、神の力が注がれて元気になった。
一人一人名前を呼ばれて神父様手作りのお祝いカードを頂き、手作り散らし寿司をいただき、若い人や子どもたちと共に聖歌を大声で歌い、お腹も心も愛と喜びと平和に満たされ、「いずれ天国で会いましょう!」と抱き合って別れた。
感謝と讃美の一日だった。