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慰めと寂しさ

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

 カトリックにはゆるしの秘跡があります。司祭の前で、抽象的にではなく、具体的に自分の犯した罪を告白し、神様にゆるしていただき、魂をきれいにして、新たに歩み始めることです。

 私は秘跡を受ける前に、聖書にある、イエスさまが悪魔から受けられた三つの誘惑を黙想しました。イエスさまはこの誘惑をすべて退けられました。(参 マタイ4・1~11)

 私は、最初の石をパンに変えるようにという誘惑からも、一切の権能を与えるという誘惑からも逃れ、その罪を犯していません。

 しかし、イエスさまが神殿の屋根の端に立たされて「神の子ならここから飛び降りたらどうだ」との試みも退けたとあります。

 私はこの箇所を読み、悪魔の誘惑で主を試したことがあることに初めて気づきました。

 そして、ぞっとする思いで司祭に告白しました。

 なぜ気づかなかったのか。この罪が私の人生につきまとい、どこまでもどこまでも追いかけてくるのです。

 確かに私はいくつもの汚れに囲まれていました。今まで罪とも感じなかったことが、いえ、勇気とさえ思っていたことが、私の魂を汚しているのでした。

 逆にそれまで罪だと思い悩んでいたことは、まったく罪ではありませんでした。司祭は私に償いを命じました。

 「毎日、十字架の前で30分の黙想をすること、20分はイエスの思いを聞くこと、残りの10分は自分の願いを話すこと、そして慰めが9割、寂しさが1割になったら、償いは終了」と言われました。

 母の胎内に宿る永遠から、イエスさまは私の使命を決めてくださっています。その使命に気づいたら、もう恐れることなく、遅すぎるでしょうか、とも心配せずに、永遠の喜びをもって、主が用意してくださった道を歩み続けるでしょう。

 主よ、私に道を教えてください。