子どもたちは、人を助けることを厭いません。特に小さい子どもほど迷うことなく駆け寄ります。
消しゴムを忘れた子がいれば貸してあげるし、色鉛筆を忘れた子がいれば「使っていいよ」と言ってくれます。それも無条件に、まごころから。
けれども、だんだん世の中の貸し借りの仕組みというものがわかってくると、何も言わずに貸してあげていた子どもたちも、「あの子は、消しゴムを借りてもありがとうも言わない」とか、「勝手にわたしの色鉛筆を使っている」などと言い始めることだってあります。
さて、皆さんはどう考えるでしょうか。この子たちは、人間がケチになってしまったのでしょうか。優しさがなくなってしまったのでしょうか。心が固くなってしまったのでしょうか。
きっと、子どもたちは、助けることが嫌になったのではありません。自分のしていることの良し悪しが、人からどう見られるかということに左右されるようになってしまったのです。
だから、聖書は次のように述べています。「施しをするときは、右の手のすることを、左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。」(マタイ6・34)
いじめが止まないのも、同じようなことかもしれません。いじめを止めるのが難しいのは、いじめを止めようとすれば、いじめられている人の仲間と見られるからです。
子どもたちが躊躇なく人を助けることができるのは、安心を感じている証拠なのでしょう。幼い子たちには、もしこの人を助けたら自分がどうなるかわからない、などという不安はありません。
もし、自分自身の隠された奥底に揺るがない安らぎを見出したなら、人を助けることをおそれることがあるでしょうか。