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手助け

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 昔の話になりますが、私が大学の教員になったとき、正規の授業以外に、何か学生のためになるような講座をしようと思いました。

 幸せな生き方をするには、どうしたら良いかを考える機会にしたかったからです。

 キリスト教系の学校でしたから、聖書を中心にした講座を開くことにしました。すると、戦後の乏しい時代だったことと、聴講は無料ということもあってか、夕方の時間帯にもかかわらず、大勢の学生や若者が集まりました。

 一年位経ったあと、結構多くの若者たちが洗礼を受けました。

 こうした、受洗者の中から、講座運営を助け、受講者をサポートするためのヘルパーを募ったところ、結構な人数が集まりました。そこで、その中から人選して、クラスのヘルパーになってもらいました。

 無償で完全なボランティアでしたが、結構、本人たちは名誉なことと考えて献身的に奉仕してくれました。

 私自身も学生の時、そういったヘルパーをしましたが、無償で、人びとのためになる奉仕をするということは、信じられないくらいの、目に見えない報酬が得られるのです。

 どういうことかというと、もちろん知識や経験も得られますが、それよりも世のため人のためになることを無償でするということは、それだけでも、自分自身と周囲の人びとのために有形無形の恩恵が与えられるのです。卒業して就職した時にも、人との出会い、特に生涯の伴侶を得る出会いにしても、思いがけないほど、精神的なメリットが得られるのです。無報酬の報酬とでも言っていいでしょう。

 私自身も修道会に入り、神父になり、大学の教員になれたのは、若い時の「手助け」の生き方が心の根底にあったからではないかと思います。