『手助け』とは、あまり好きな言葉ではありません。それは人に助けてもらう事で、助けてくださる方に迷惑になるかもしれないと思うからです。手助けは、できれば受けないで済ましたいものですが、老齢化とともに受けざるを得なくなってくるように思います。
顧みるに、私は、もう94歳になりますが、たくさんの方々に支えられてきました。ちょっとそこまで行く時も、安全に歩くために体を支えてもらったり、薬を忘れずに飲めるように声がけをしてもらったり、数えきれないほど「手助け」を毎日受けています。
いま我が家には、たくさんの人が訪れます。理学療法士、ヘルパー、看護師、往診の先生、お手伝いの方などです。その方々のおかげで、無事、毎日が、楽しく過ごせていると言えるのです。
特に、ユーモアある理学療法士の方とは、存分におしゃべりをし、笑い声とともに、楽しいひと時を過ごしています。
若い人と接することも不可欠で、これが元気の源、エネルギー源となります。「手助け」とは、必要なときに適切なエネルギーを与え、物事の完成を促進させるものと言えると思います。
人間は、助けを与えたり、受けたりしながら、ひたすら「手助け」のおかげで、生涯をおくることができると言って、過言ではないと思います。
顧みるに、子どもは、親の助けを受けながら立派な社会人に成長します。子どもの世話をする大人も、やがては中年、高年、老年になり、サポートを受ける側にならざるを得ません。「手助け」もライフサイクルとなっています。
私も「手助け」を厭わず、気持ちよく受けながら、与えられた人生を元気いっぱい頑張らなければならないと思います。