帝国劇場での公演『近松心中物語ーそれは恋』、(蜷川幸雄演出、秋元松代脚本)に群衆の一人として出演していた時のことです。
舞台側から客席を見ると、高額なS席には、着物をまとい観劇に来ている方々に混じって、ほぼ普段着の女性を見かけることがあります。身なりが良いからといって、その人たちの人生に苦しみがないわけではないと思いますが、普段着のまま舞台を見にきた女性に思いを馳せてしまいます。もしかするとその女性の日々は、家族の洗濯をして食事を作ったりする中で、日々の悩みや不幸、苦しみも尽きないかもしれません。女性は、若き日には、学生運動などに身を投じ、青春の火を燃やしていたのかもしれないのに...。
蜷川さんが演出した舞台は、魂を揺さぶり、永遠の杯からこぼれ落ちるような甘美なぶどう酒を味わう手助けをしてくれます。
今は、蜷川さんは天に召されたけれど、群衆の一人としての出演者であったとしても、一生懸命演じ、取り組んでいる若者たちには、苦しみからはい上がる手助けとなる言葉をそれぞれにかけてくれるのです。
私自身、今住んでいる地に来て六年目に入り、その間、暗夜と言える日々が続きました。一度は意気消沈して、「ああ、もうどうにもならない」とため息をつく私を、蜷川さんの言葉が生き返らせるのです。
帝劇の舞台のソデで出番を待っていた時、「堀は、百万人の敵がいたとしても、私一人で行くという女になれ」と。
その言葉を思い出している時、「心のともしび」に私の文を読んだというメールがパリから入ったのです。世界中の人々に読まれている「心のともしび」に関わっている幸せを感じました。そして、思いがけない道が開けることになったのです。