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手助け

竹内 修一 神父

今日の心の糧イメージ

 宮沢賢治の詩「雨にも負けず」に、次のような一節があります。「東に病気の子供あれば/行って看病してやり/西に疲れた母あれば/行ってその稲の束を負い/南に死にそうなひとあれば/行って怖がらなくてもいいと言い...。」

 ある人が、何らかの困難や苦しみの中にある時、ふっとその人に心を馳せ、可能なら、その人のもとに行きともにたたずみます。そうしたことは、本来、すべての人の心の奥深くにある真実なのではないか、とそう思います。そのような人間のあり方を、ケアリングと言います。

 ケアリングとは、ひとり医師や看護師の働きに限られたものではありません。むしろ、それは、本来すべての人に与えられている人間の本質です。そのことを、シスター シモーヌ・ローチは、次のように語ります。――「ケアリングは、人間の存在様式である。」

 誰かの手助けをする――それは、必ずしも大それたことでなくても構いません。むしろ、ほんのささやかなことに、それは現われます。大切こと――それは、その人に対して、真心を込めて惜しみない心で関わるということです。そのような行為が可能となる時、私たちは、共に生きているということに気づかされます。それはまた、静かな喜びでもあります。

 ささやかな心遣い、衒いのない手助け――そのようなことができる人、それは、真に誠実な人にほかなりません。真に誠実な人とは、まず、自分自身に対して誠実な人です。そのような人でなければ、おそらく、他の人に対して誠実であることはできないでしょう。

 「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である」。(ルカ16・10)