以前、大阪の大手デパートの中にキリスト教書店がありました。勤め先からの帰りに、そこへ立ち寄ることをわたしはとても楽しみにしていました。
ある日、商品を選んでレジに並んだところ、閉店のアナウンスが流れてきました。その時、ひとりの紳士がたくさんの品物をレジに持ち込まれて、定員さんもやや焦り出したその時、わたしはその方のスーツが埃まみれであり、片方の足がご不自由であることにも気づきました。荷物が多くなるご様子でしたので「よき所までお持ちしましょうか」と軽い気持ちで手助けをご提案しました。それが熱心なキリスト者であるKさんとの出会いでした。
閉店の音楽「蛍の光」が流れる中、デパートを出て、わたしは駐車場まで荷物をお持ちしました。歩く道すがら、その方の清らかさと愛情の深さが伝わってきました。
わたしは「ぜひお礼に送らせてください」と懇願され、なんと大阪から神戸まで送っていただくことになったのです。
その車中、いろいろな話をするなかで、その日はKさんが洗礼を受けられる方々へのプレゼントを購入されていたことや、貿易会社を経営されていて、新店舗の工事現場に入ったために、スーツが埃まみれだったことがわかりました。
ほんの小さな手助けを喜んでくださったKさんとの交流はその後も続き、わたしにとって信仰者としての手本となり、祈りだけではなく、仕事面でもご指導をしていただきました。
Kさんとの出会いを思い出すと、わたしの心には聖書の一節が浮かび小さな手助けをイエスさまが喜んでくださっていたように感じます。
「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25・40)