皆さんあまり気がついていないかも知れませんが、生きるということは、神さまとともにあるということです。
人のいのちは限りない可能性を秘めています。それを少しでも実現し、開花させるために、人は生き抜こうとするのです。
花見をしたり、果実を食べたりするのは、それを享受するためではないでしょうか。
生きていること自体、神と一緒であることが分かれば、生き抜くことで、自分の中になる種、つまり可能性を伸ばそうと、悪戦苦闘をしながらも努力するのではないでしょうか。人生はそうした最高に尊い機会でありますから、どんな職業につき、またはどんな境遇、どんな状態であろうと、自分のいのちを信じて、生き抜こう、やりとげようと努力しようではありませんか。
そうするとき、美しい花が咲き、美味しい実がなるのではないでしょうか。
現在私は、高齢者になりましたので、一切の仕事や活動から退いています。東京の鄙びた地域にある、小さな施設みたいな建物のなかで生活しています。暇で退屈なのですが、では、お祈りばかりしているかというと、そうではありません。一応、修道院ですから、朝晩の祈りの時間はあります。けれどもあとはまったく自由です。自由だから、何でもできそうですが、お金がないので、自由に外出して、買い物するなどということはできません。
ではどういう生き方をして、今生のいのちを生き抜こうかとすると、私の場合、読書と執筆になります。それは、本屋に生まれ育ったという子どもの時の境遇や青年期に出版の会社に勤めていたことも関係しています。
高齢になった時、生き抜こうとする智恵をどこに見い出したらいいかというと、それはやはり読書だと思います。