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生き抜く

許 書寧

今日の心の糧イメージ

 今回のテーマを頂いた時、なぜか真っ先に頭に浮かんだのは「死ぬ」ことだった。もともと生と死は背中合わせで、どちらも神からの贈り物だからかも知れない。

 そう考えていると、一人の日本人の生き様を思い出した。

 その日本人は廣枝音右衛門(ひろえだ おとえもん)という警察官である。彼は昭和5年、当時日本の植民地であった台湾に渡り、長年警部として務めた。温厚な人柄と分け隔てない優しさで、現地の人々から慕われていた。

 昭和18年、廣枝氏は海軍巡査隊の大隊長としてフィリピンに派遣された。彼の部下には五百名もの台湾青年がいた。激戦が繰り広げられる中、追い詰められた日本軍は、次々と特攻や玉砕命令を下すようになった。廣枝氏は軍の絶対服従と人道主義との狭間に立たされ、隊員に玉砕命令を出すことができずに苦悩の沈黙を続けた。

 しかし決断の時はやってきた。廣枝氏は重たい口を開け、「諸君がここで玉砕することは犬死にに等しい。とにかく生きつづけろ!家族が待つ台湾に必ず帰り、国の再建に努めろ!玉砕命令に背いた責任は隊長の私がとる」と、部下の台湾青年たちに遺言を残した。その後彼は拳銃で自害した。

 戦後、生還した元隊員たちは廣枝氏の任地であった台湾中部の山寺に彼の位牌を祀り、二世になった現在でも毎年絶やさず慰霊祭を行っているそうだ。

 初めて廣枝音右衛門の生涯を知った時、全身を稲妻に貫かれたかのような感じがした。

 かつて、一人の人が生き抜いて、死に切った。

 そのことによって、多くの命が生き抜くことができた。

 国や民族を越えた命のリレーに、私はただただ感謝と感動するばかりであった。