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生き抜く

竹内 修一 神父

今日の心の糧イメージ

 熊谷博子監督のドキュメンタリー映画「かづゑ的」を観ました。

 主人公は、宮崎かづゑさん。場所は、長島愛生園という瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所。かづゑさんは10歳で入所し、96歳に至るまでそこで過ごしてきました。左足は膝下からなく、右足の先もありません。さらに10本の手指もありません。それにもかかわらず、彼女は78歳からパソコンを覚え、84歳の時にそれまでの自分の人生をまとめ、『長い道』として上梓します。22歳の時、同じ療養所の孝行さんと結婚。孝行さんは軽症でしたが、2020年94歳で逝去。

 映画の中でご本人の言葉として「らい(ハンセン病)だけで人間性は消えない」・・・と、かづゑさんは語ります。

 そのような人間性とは、いったい何なのでしょうか。人間の真の尊厳とは、そこにあるのでしょうか。

 その一方で、人間は人間を差別します。それは、療養所内においても同様です。彼女は問いかけます――

 「人間て怖い動物なのだろうか。違う、愛の固まりでもある。どっち、どなたか私にこのことを教えてください。私は未だに何も知らないんです、本当なんです。」

 かづゑさんが、その人生のほとんどを過ごした長島愛生園。この島を眺めながら、こう語ります――「いろんなものがいっぱい見える。いっぱい見える、いろんなものが。私が生きてきた生涯がみんな見える、こうして見たら。なんだろうねぇ、この島は。不思議な島でねぇ。天国だし、地獄だしね。」

 神は、私たちを耐えられないような試練に遭わせることはない、とパウロは語ります。(参 Ⅰコリント10・13)きっとそうでしょう。しかし、仮にこの言葉の意味を理解したとしても、それを現実として受け容れ生き抜くことは、決して容易いことではないでしょう。