言葉は面白い生きものだと私は思っている。一つ一つの単語が広い世界を持っていて、道を散歩するようにその単語を辿っていくと、思いもかけない世界に連れて行ってくれるのである。
例えば「抜く」という動詞があるが、この言葉は二つの正反対の意味を持っている。一つは「何かを引き出す、引いて取り出す」という意味だ。棘を抜く、とは皮膚などに刺さっている棘を引いて取り出すことだし、刀を抜くと言えば、鞘から刀身を引き出して戦うことだ。大勢から一人を引き出せば、抜擢したということになり、選ばれて引き抜かれれば選抜されたことになる。
もう一つの意味は「何かを突き破ってその向こうへ行く」という意味だ。弓矢で射抜く、拳銃で撃ち抜く。野球で三遊間を抜く、と聞くと、3塁手とショート(遊撃手)の守る空間を、打球が破って飛んで行く光景が目に浮かぶ。
引くのも突くのも同じ「抜く」という単語を使うとは面白い、と考えるうちに、「生き抜く」はどちらだろうと気になった。「一度きりの人生だから、精一杯生き抜く」などという使い方をする言葉である。
胃癌になった或る作家が、胃を全て摘出する手術をした後、この先どれくらい生きられるかと考えたそうだ。懸命に生き抜こうとする気持ちが免疫力も上げると信じて、手術後も休まずに連載の原稿を書いたそうである。
「生き抜く」とは苦しみや悲しみを乗り越え、全力で最後まで生き通すことのようだ。やり抜く、考え抜くなどと同じで、最後まで力を尽くす。それはどれほど大変なことだろう。だが「生き抜く」という言葉がある以上、生き抜いた人々がいたということだ。人には皆、自分の人生を生き抜く力がある。それを信じていたいと思う。