「マリアさま いやなことは私が よろこんで」
これは、長崎、鹿児島、東京などにて、後世に残る教育事業、被爆者福祉事業の礎を創った純心女子学園の初代学園長、シスター江角ヤスの言葉です。
そのまま、純心女子学園の標語になっています。
この学園標語に象徴される心は、彼女自身が、身をもって示したものであり、今も卒業生や在校生に継承されています。
1945年8月9日、長崎への原爆投下によって、純心女子学園の校舎は全焼し、当時校長であったシスター江角も瓦礫の下敷きになって重傷を負います。
恐らく、シスター江角が最も苦しんだのは、207名の生徒と7名の教職員を亡くしたことでしょう。
戦争による惨事とはいえ、愛する教え子達を死なせてしまった責任を感じたシスター江角は、学校を閉じ、余生は教え子達の冥福を祈り過ごそう、と考えます。
しかし、それを知った亡くなった生徒達の父兄が相次ぎ訪れ、娘達の清らかな最期の様子を語り、純心教育に感謝し、学校閉鎖をやめるよう訴えたのです。
シスター江角は勇気を甦らせ、「あの子たちのような教え子をもう一度育てて、二度と戦争のない平和な世界をつくりだすのに役立つ教育を行おう」と学園の再建を決心するのです。
また、原爆で亡くなった生徒達に代わって、原爆孤老の方々のお世話をしたいという気持ちで、1970年に恵の丘長崎原爆ホームを開設します。
このシスター江角の決意と働きが、戦後の長崎、そして日本を復興していく大きな一助となっていきます。
明治、大正、昭和の激動期に、様々な困難を克服しながら、愛をもって生き抜いたシスター江角ヤスは、1980年、享年81歳で帰天しました。