とにかく、家のことにものすごい情熱を費やす友人がいます。エアコンや換気装置の掃除をこまめに業者に頼むといった基本はもちろん、1週間会社を休んで家や家具の耐震を徹底的にし、大型のソーラー電源パネルを設置して、南側の窓をほとんど塞いでも大満足と話すのです。
私も移動困難者なので、備蓄については多少手厚く対策していますが、ここまで理想通りにはできていないのが現状です。この熱意と信念は、とてもまねできないと思っていました。
けれどある日、その信念の原動力を知ることになりました。
友人の母上は、数年前に脊髄の手術を受けて以来、まっすぐな姿勢を保てず、特殊な椅子やベッドが必要になりました。それでも、トイレもお風呂もご自分でこなす気概の持ち主で、友人はその心を汲んで在宅勤務しながら介護しているのです。
防災情報で盛り上がっていたとき、彼女がぽつりと言ったのです。
「私たちマンション住民は、基本的には避難せずに自宅で生き抜くようにというのが行政の基準でしょう。特にうちは、たとえ避難所に行って良いことになっても、母をつれては避難できない。だから、ここで生き残るしかないの。私、生き残る気満々だから、できることは全部やっておこうと思って」
この一言に、私ははっとしました。彼女は、真面目さゆえにだけでなく、母上の命を預かっている責任感によって、徹底した防災を実践していたのです。
何があっても生き抜く。母上とともに。彼女の静かな信念には、岩をも穿つ力がありました。
私たちが生き抜くことは、人を助けることにもなり、私たちを愛してくれる人のためでもあるのです。だからしっかり生き抜こう。私も決意を新たにしたのでした。