私がまだ小学生だったころ、友だちや、きょうだいと一緒に、小学校の横を流れていた川によく遊びに行っていました。今はそのような光景を見ることは難しいのですが、当時その川や上流の小さな滝にはザリガニ、フナ、メダカ、オタマジャクシ、ヤゴ、シジミ、エビなどいろんな生き物が棲んでいて、捕まえたり、川に戻したり、生き物と触れ合う時がとても楽しかったことを覚えています。あの小さな川によくあんなにたくさんの生き物がいたな、と今考えても驚くばかりです。それほど、まだ自然が豊かで川もきれいに澄んでいて、生き物たちが元気に暮らせる環境があったのでしょう。生き物に触れることによって、その小さな命を感じることができたことは今、考えても、とても貴い体験だったなと感じます。
教皇フランシスコは言います。
*「場所を思い出し、またそうした記憶を思い返すことは、私たち皆にとって大いにためになります。丘陵地帯で育った人、泉の傍らに座ってはそこから飲んでいた人、外に出て近所の広場で遊んだ人なら、だれにとってもそうした場所に戻ることは、何かしら本当の自分を取り戻すいい機会です」
神様から造られた自然の一部である私たち人間は、身近な自然に触れることによって、また、自然と触れ合った記憶を思い返すことによって命のつながりを感覚的に思いださせてもらえるのではないでしょうか。雨のしずくの音に耳をすませ、さえずる小鳥の姿を目で追いかけ、身近に咲く草花や木の香りを楽しみ、手で土に触れ、川の流れを足に感じてそうやって、自然の一部であるということ、その中で生かされているということの、心の安らぎ、感謝が生まれてくるような気がします。
*(教皇回勅「ラウダート・シ」84)