もう70年も前の薄茶色の写真が出てきました。高校卒業記念写真でした。皆の名前は憶えていませんが、懐かしさが沸き上がります。私は一人の友人と肩を組んでいました。不思議なことにそれから10数年経って二人は牧師と神父に成っていました。彼は信徒でなかったし、私は生まれた時に洗礼を受けていましたが、当時教会からは遠退いていました。それぞれどんな歩みをしたか?熱く語り合ったことを薄っすらと憶えています。
ある日友人牧師の自宅を訪問した時、奥から小さな女のお子さんが飛び出してきました。そして客の私に「チェア、チェア」と小さな手を出して言うのです。私は、英語で椅子の事を言っているのかなと思いました。幼時からの英才教育かとも。ところがお子さんは更に手を出して、「チェア、チェア」と言い続けます。
よく見ると可愛いこぶしに飴を握っていました。友人牧師は笑って、「それ『シェア、シェア』と言っているのだよ」と説明してくれました。成程、英語の「分ける」シェアをチェアと発音していたのです。
人生の最初に「分けよう」という大切な生き方と言葉を親は伝えていたのですね。
最近、友人の娘さんが、赤ちゃんを授かるおめでたでした。お会いした時、電車で来られたと聞き、「車中座れましたか、優先席に」と聞きますと。「人が座っていて座れませんでした、それにお腹未だそんなに目立たないので」と言われますので、「タオルでも入れておいたら」と言いますと、「お腹が大きくても、座っている人、皆スマホを見ていて気付きませんよ」と言われます。「そうか」、ちょっとショックでした。そして、座席はシートですが、座る「チェア」を分けてくれる「シェア」を思い出したのです。