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いごこち

シスター 萩原 久美子

今日の心の糧イメージ

 「居場所」を古い言葉では「ゐどころ」といったらしく、この「ゐどころ」の「ゐど」には、「座っている」という意味があり、さらには、「尻」という意味があったようです。(中藤信哉氏著作の『心理療法と「居場所」』より)

 聖書の中には、イエス様の後を追い求める群衆に向かって、様々なたとえを用いて話されるイエス様と、食事の時間も忘れるほどにイエス様の話に聞き入っている群衆の様子が描かれています。(参 マタイ14・13~21)イエス様がいる場所は、彼らにとってゆっくり身を委ねられる場所、無防備に尻を預けられる場所、つまり「いごこちのいい場所」だったのでしょう。

 イエス様は集まった群衆を前に、「人々の聞く力に応じて」話をされました。もし、イエス様が、律法学者のように到底理解できないような専門用語を並び立て、人々の行いが、良いか悪いかの評価的な話であったならば、そこは彼らにとって、居心地の悪い場所になっていたかもしれません。しかし、イエス様は神様とつながるチャンネルを一人ひとりの能力に合わせて示され、「それでもよい」「あなたはそこにいてもいいんだよ」と彼らが「いる」場所をつくってくださいました。

 色とりどりの花々が咲き乱れる季節。心も晴れやかで、どこにいても楽しい気持ちになれる季節です。でもちょっと心に隙間を感じて、私のいる場所を見失ってしまいそうになってしまう時期でもあります。そんな時は、マリア様の腕の中で安らぐ幼子のように、神様にゆっくりと身を委ねて、神様につながるチャンネルをゆっくり合わせていきたいものです。

 最初は辛く困難な場所も、おのずといごこちのいい場所に変わってくるかもしれません。