故郷をすてて、いきなり外国に送られる、そんなこと私にはできない。マザー・テレサの話をすると、学生はそう反応します。
テレサは東欧から18歳でアイルランドの修道会に入り、もう一生家族や友人には会うこともない決心で、翌年インドへ派遣されます。
神との関係に生きる。神のみ旨を先に考えて、人間的な関わりから離れておくこと。などの「誓願」について説明してみます。
家族、友人との関係を絶つなんて自分には考えられない、と学生は応えます。
たしかにそれは残酷なことかもしれません。他方、その「残酷さ」は、その人が大切にしているものへの真剣さを明るみに出します。
アントニー・デ・メロの「小鳥の歌」から読み取ります。
~~ ある村人が夢でお告げを受け、托鉢僧に宝石を所望しました。
僧は袋に手を入れて、森で見つけた石を渡してやります。
男はその夜寝つけず、翌朝すぐに托鉢僧を訪ねて言います。
「いとも簡単にダイヤモンドを人にくれてしまうほどの財産をわたしにもください。」~~
この村人は安らぎをなくし、一晩じゅう眠れなかったようです。大きな宝石を人に上げても拘らない心、囚われない心を私にもください、と願ったのです。
安らぎは、何ものにも囚われない、執着から解き放たれた心から来るのでしょう。
他方で、マザー・テレサは神の愛に囚われ、こだわり、究極的にかかわった人でした。
執着から解き放たれた心、これが神への究極的なかかわりや拘りから来るとしたら、興味深い逆説です。この世のものから解き放たれるとは、真に神の囚われ人となることなのでしょう。
学生たちが「神の愛に生きる人々がいる」という現実を知ることで、少しでも神について考え始めてくれたらと願っています。