「『サヨナラ』ダケガ人生ダ。」井伏鱒二が漢詩から訳して、有名になったフレーズです。
昨年の夏、恩師との別れに及んで、その朝繰り返しこの句をかみしめていました。必ずしも悲観的な意味で浮かんできたわけではないのですが、万感の思いが次から次へと溢れてきました。
30年以上に及ぶ出会いと友情、家族での付き合い、そしてなによりも恩師がたどった人生、その努力や奮闘を想っては、さまざまな思いに襲われました。
実はその前日、私たちは新たな人生に旅立つ娘とニューヨーク33番街、地下鉄の入り口でハグをして別れたところです。そしてボストンに戻ると、すぐに息子が大学に戻ってゆくという日程でした。
人はなぜこうして国を離れて生活習慣や言葉、文化や社会制度の境をまたいでまで、地球の裏側にまで出かけてゆくのだろう。近くにいてくれれば、みな喜んでいられるのに。故郷を離れてまで、惹きつけるものは何なのでしょう。あらゆる手続き、法的な申請、あとになってやってくる困難にも一顧だにせず、自らの人生を自由に投げ込ませるものは何なのか。
「サヨナラ」ダケガ人生ダ。人との別離、それも自分たちの新たな旅立ちとして捉えるならば、この名句も前向きな意味を帯びてきます。
私たちは数々の「サヨナラ」を通して、人生の試練を過ぎ越してゆきます。人生のあらゆる通過儀礼、成長と成熟、そして老いを迎えるにあわせて経てゆく出会いと別離、それらをみな新たに開かれたものに向かう旅立ちとして迎えたい。「サヨナラ」ダケガ人生ダ。そこには必ず別離がありますが、新たな旅立ちと出会いを待ち受ける希望もあります。
この春、新たに旅立つみなさまへ、「主はあなたとともにおられます。」