高校生のとき、私はアメリカに留学しました。全盲の単身渡米で、米国人の家庭に滞在し、盲学校とともに一般のハイスクールに通うという形での留学は、当時聞かされたところでは私が日本で初めてだったそうです。
旅立ち前夜、両親が寿司を食べにつれていってくれ、いよいよ出発の朝となりました。
仲良しのクラスメートがお母さんと見送りにきてくれました。握手したら涙が止まらなくなりました。私自身が決め、試験を受けて手にした留学の切符。でもやはり、旅立ちとなるとさみしい気持ちも生まれたのでした。
別れ際に、父と母がかわるがわるいいました。
「がんばっておいで。でも、つらくなったらいつでも帰ってきていいんだよ」。 「つらくて帰ってきても叱ったりしないから、安心して行ってらっしゃい」
期間が決まった留学だったので、せっかくのチャンスを中途で投げ出すつもりはもちろんありませんでした。けれど、心細さに負けそうになっているとき、励ますだけでなく、安心できるもう一つの道を示してもらえたことで、かえって決意が固くなりました。
「うん、本当に駄目だったら帰ってくるね。でも、ぜったいがんばるから」
泣き泣き断言し、途中まで一緒に行く仲間たちに手を引かれて飛行機へと歩き出したのでした。そして留学は、帰るどころか、帰国せず米国で進学してしまおうかと迷うほど楽しいものになったのでした。
最初の大きな旅立ちはこのように「見守られた出発」でしたが、人生には一人で旅立つ出発もあるでしょう。しかし、勇気を出して旅立てば、誰かが手を取ってくれると、私はどこかで信じています。
自分一人だと思っても、少なくとも神様は見ていてくれるのではないかしら、と。