四旬節はキリストの復活への準備の期間、新しい命への道です。特に、悔い改めて祈り、節制や犠牲が呼びかけられる時です。
祈りには、静かな力があります。四旬節だけではなく、修道院では、「教会の祈り」という公の祈りを共同体で唱えます。その中心は、聖書の「詩編」です。番号順ではなく、教会の典礼暦に合わせて4週間周期で配分され、決められた詩編を日毎に唱和します。その中には、神への感謝と賛美、そして、人間の怒りや嘆き等の暗い感情がもろに表現されたものもあります。その時の自分の感情には合わない場合もあります。
正直なところ、私は、長い間、義務的に唱えるばかりで、心をこめることに難しさを感じていました。しかし、「教会の祈り」の詩編が世界中の人々の叫びとなると気づいた時、その祈りを通して、遠い見知らぬ人々とも繋がって心を合わせられることに驚き、喜びを感じました。
毎日の共同の祈りが、まさに全世界の「教会」の祈りとなることに心からの安らぎを覚えました。
私は、また、一日の終わりに、まず感謝することを探すようにしています。感謝を通して、不思議に心に安らぎを得、穏やかになり、自然に祈る気持ちにさせられるからです。時には、その日にあった否定的な暗いことばかりにふり回される自分に気づきます。しかし、とにかく小さなことでもその日に感謝できることを思い浮かべることによって、心が変えられることを実感しています。
特にこの四旬節、自分の周りで起きる些細な雑事に囚われてしまいがちな私ですが、心からの祈りを通して、自己中心的な狭い感情を越え、世界中の人々や被造界に一致して心静かに祈ることを大切に過ごしたいと思います。