聖書の言葉は、その時々によって心への響き方が大きく変わることがあると思います。
私は20代の頃、その後の人生の柱となるようなみ言葉と出会いました。
当時の私は「惨めな自分をこんなに愛してくださるイエス様をもっとお喜ばせしたい!」という情熱に燃え立ち、自分の体力や能力を省みず、ひたすら愛を込めて日々を送っていました。ところがその思いとは裏腹に、頑張れば頑張るほど失敗や挫折が続き、ついには病気になってしまったのです。
自分の願いとは逆の結果に打ちひしがれている中で、大好きな聖女テレーズに倣い、福音書の中に助けを求めることにしました。疲れた心でページを捲るうちに、十字架上のイエス様の言葉に目が留まったのです。
「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23・43)幾度となく見聞きしていたみ言葉でしたが、その時、イエス様の喜びの表情とお声が感じ取られたのです!
~こんなにイエス様を喜ばせることができた人は誰?~
少し戻って読み返すと、そこに居たのはイエス様の隣で十字架に架けられていた二人の罪人のうちの一人でした。
彼は自分の罪を認め、報いとして十字架刑を受け入れ、澄んだ心のまなざしで「隣に架けられた方が神の子イエスである」ことを悟り、そして「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と希望を口にしました。
イエス様が最も喜ばれることは、何かを成す"to do"よりも、どういう心でいるか"to be"なのかもしれない、とこの罪人から教えられ、私は深い平安と喜びに包まれたのです。
順調な時には気づかなかった光に、挫折や苦しみという闇の中で気づかせていただきました。