友人に恋人ができた時のことを覚えている。相手の男性は素敵な人であったし、彼女と同じ趣味を持っていたので、よく気が合い、よくしゃべって楽しそうだった。まだオンラインの通話がない時代で、会えない時は電話をしていたが、通話時間の最長記録が六時間。途中でそれぞれ食事をしたり、お手洗いに行ったりして、電話は切らないのだという。もうそれならば、早く結婚して一緒に住めばいいのでは、という話になり、めでたく結婚したのである。
さぞ仲良く楽しく暮らすだろうと思ったけれど、何とそれが違うと言う。彼女によると、クリスマスの夜でさえ全く盛り上がらないので、彼女が電子ピアノで次々とクリスマスソングを弾いて歌ったけれど、静かに時間が経つばかり。恋人時代は、会いたくて仕方がなく、会えばテンションが上がって、言葉も止まらないほどだったのに、今はせっかく一緒にいても、感動がないのだそうだ。
彼女の不満はよくわかるけれど、それは感動がなくなったのではなく信頼と安らぎが新たに生まれたのではないかと思われる。
恋人時代の恋愛は、全てがバラ色に見える非日常の世界である。夢の中を飛んでいるようなものだ。でも結婚して、二人は他人から家族になり、仲良く地上に降りてきたのである。
クリスマスの夜を安らかに過ごせたのだから、それは幸福だったのではないだろうか。離れていて求め合う関係から、共にいて支え合う穏やかな日々になった証である。
幸福とは静かなものである。思いもかけない姿をしているので、すぐそばにいるのに、私たちが気づかないだけなのだ。