私はれっきとしたおばあちゃん子だった。
幼い頃、両親が共働きだったため、母方の祖母に預けられていた。
早朝のお宮参りから夕方のお風呂まで、いつもおばあちゃんにピタッとくっついて離れなかった。おばあちゃんの付録と言われるほどに。 そのため、今でも故郷という言葉を聞くと、真っ先におばあちゃんの家が目に浮かぶ。
おばあちゃんの家はウナギの寝床のような細長い家屋だった。
狭い戸口から順番に、茶の間、祖母の寝室、祖父の寝室、食堂、台所、厠と風呂場が並ぶ造りで、日本統治時代の名残のためか、二つの寝室とも床の高い和室だった。
イ草の香りが漂う祖母の部屋でのお昼寝は何より好きな日課だった。ころんと寝っ転がる私の横で、おばあちゃんは毛糸で人形を編みながら次から次へと昔話を聞かせてくれた。娘時代に日本人の家で子守奉公をしていたので、子どもの扱い方はお手のものらしい。私はいつもカチカチ山や証城寺の狸囃子を耳に、いつしか眠ってしまうのだった。
途中、ふと目が覚める時があった。 周りはうす暗く、静まり返っていた。天窓から午後の日差しがそっとさし込み、柔らかい光の中で無数の埃がキラキラと舞いあがっては落ちた。隣にはかぎ針を持ったままうとうとと居眠りをするおばあちゃんがいた。
たった、それだけ。
たった、それだけなのに、大きな大きな幸せで小さな胸が張り裂けそうになった。
おばあちゃん。おばあちゃんの存在こそ、愛そのものかも知れない。愛は、いつまでも絶えることがない。
祖母が亡くなった今でも、その安らぎのひと時を鮮明に覚えている。思い出す度に、まるで側にいるかのように祖母の体温を感じ、涙がこぼれてしまう。