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渇き

シスター 山本 ふみり

今日の心の糧イメージ

 教会の暦では、主のご受難を黙想する【四旬節】を過ごしています。神様の贖の業、救いの業を思い起こす時です。

 父なる神様が、最愛の御独り子主イエスを身代わりとして、私たち人間を救ってくださった事を毎年黙想し、祈るよう勧められます。そして私達一人一人が、そのことをどのように認識し、意識して捧げるのかを問われているようです。

 何でもお出来になるはずの神の子イエス・キリスト。けれども、父である神が人間の救いの為にご自分を遣わされる事を承諾して、「御父のみ旨が行われますように」と表明し、ご自分の全てを神に委ねます。

 そして、向かった先は十字架刑でした。その十字架上から発せられた言葉が「私は渇く」。(ヨハネ19・28)

 この言葉、「渇く」が人間に何かを求めているのだとしたら、私達人間がどうやって主イエスの「渇き」を潤せるのでしょう? 

 喉の渇きを潤すのは『水』ですね。そして、人間の魂を潤す水といえば『神様からの恵みと愛』だと思います。神の恵みと愛は、人知を超えて完全で、満ち溢れています。

 では、十字架上で主イエスが「渇く」と言われたのは、何を求めておられるのでしょう。それは人間同士の助け合いや協力し合う姿の中に、神様がそこにおられることを証しする事ではないかと思うのです。

 神様は人間に、お互いへの愛を求めておられます。一人ひとりに神様がくださっている恵みを使って、形の見えない愛をあなたの周りの人に分かち合って欲しいと渇望されていると思います。

 自分に出来る一寸した事でいいのです。

 心を込めて挨拶し、笑顔で話を聴き、共有し、分かち合い、助け合って共に生きていく事で、そこに神様の愛がある事を証し、主の渇きを潤すことに繋がりますように。